モノ作りや作品に興味がある人が集まる場所にしたい。

辻 翔平さん(福岡から移住)
木器作家。ムクロジ木器工房運営。

下関に移住した理由は?

大学を出て5年間、福岡県大川市にある木工メーカーで営業の仕事をしていました。入社4年目ごろから独立開業の思いが強くなり、妻とも相談して会社に退職の思いを伝えたのですが、その3日後、妻に子供ができたことがわかりました。
退職を取り消すことも考えないではありませんでしたが、結局、出産や子育てのことを考え、妻の実家がある下関に移ることを決めました。もし、会社に退職を伝える前に妊娠がわかっていたら退職しなかったかもしれません。
ちなみに、工房名の「ムクロジ」とは木の名前でもあり、妻の実家の地名でもあります。それぞれ漢字で書くと「無患子」「杢路子」となり、「患いがない子」「木工の路(みち)の子)」で、わが家やこの工房にふさわしい名前だと思っています。

木工との出会いは?

インターンシップでの一目ぼれでした
大学ではデザイン学科を専攻していたのですが、大学2年のとき、インターンシップで何社か企業訪問し、その最後が木製食器を作る木工所でした。木を削って器を作るのがおもしろく、インターンシップ自体は1週間で終わったのですが、その木工所には大学を卒業するまで通わせてもらい、卒業後、弟子入りしたいと本気で考えるほどでした。

工房(木工所)を開くまでの経緯は?

職業訓練と名刺を使った工房準備
最初の1年間は下関から毎日往復5時間かけて福岡県田川市の職業訓練校に通っていました。また、工房を開くまでは「工房準備室」という名刺も用意し、「不用な機械をお持ちの方は…」というメッセージを入れていました。工房に必要な設備にかかる費用を少しでも抑えたかったからです。
そうしたところ、妻の実家であるお寺に参拝に来られていた豊北町の建設会社の方を妻の母に紹介してもらい、木工機械を譲ってもらえることになったばかりか、作業場を工房として提供していただけることになりました。
本当にありがたいことに色々な人に助けていただいています。

下関で暮らしはじめてよかったことは?

下関は、木工所を始めた私を育ててくれた場所であり、妻や4歳の娘にとっては「ふるさと」です。
私は、父が転勤族だったため子供のころは引越が多く、自分には「ふるさと」はないと思っていましたので、子供には「ふるさと」を作ってあげたいという気持ちがありました。
下関は海や山のある自然の豊かな土地ですし、なにより惜しまず協力をしてくれる方々が大勢います。最初に機械を譲っていただいた建設会社の社長さんもそうですし、2ヶ所目となる現在の工房も壁材はご近所の製材所で安く譲ってもらったもので、塗装部屋を作るときも近所の方々が手伝ってくれました。最近では畑作りを元自治会長さんに教えてもらっています。
温かな人々や自然に囲まれた下関を娘の「ふるさと」にできたのはよかったと思います。

これからどのような工房にしたいと考えていますか?

下関は海に囲まれているのでそのイメージが強いかと思いますが、実は山林も多く、木材も豊富です。ですが、まだまだ十分に使われているとはいえません。
まず、地元材の使用量を増やし、特に下関市の「市の木」であるクスノキはブランド化したいと思っています。
そのほか、現在も技術を持った方が下関で何かやりたいと移住を考え相談の電話をいただくことがあります。実際、木工を始めたいという方やパン屋を開きたいという方などが近所に越してくることになっています。そうした方々とも一緒になって、観光バスが来るような場所ではなく、モノ作りや作品などに興味がある人が集まってくれるような場所にしたいです。

下関への移住を考えている皆さんへ

私が下関に来て親しくさせてもらうようになった陶芸家の先輩から「下関はなにをやっても新しい。カルチャーを持ち込める場所だよ」と言われたことがあります。
ただし、移住には向き不向きがあります。そこをしっかりと見極めた上で、新しいことを始めたいと考えている方は、下関でぜひチャレンジしてみてください。

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